奇跡の復活

メジャーリーグでは毎年のように病気や怪我で離脱してしまった選手を知っていますか?

 

世界の野球選手の中でメジャーリーグでプレーできる選手は一握りであり、メジャーリーガーになれたとしても怪我や病気で離脱してしまう選手も少なくありませんよね?

 

皆さんもよく知るスター選手であっても、復活できないまま引退を余儀なくされた選手もいるのではないでしょうか。

 

今回はメジャーリーガーとして活躍し、怪我や病気、イップスから復活を遂げた選手を紹介していきます。

魔球カットボールを操った伝説的守護神|マリアノ・リベラ

 

リベラはニューヨークヤンキース一筋でプレーし、最多セーブ記録樹立やワールドシリーズでも活躍した伝説的守護神です。

 

そんなリベラですが1990年に入団し引退をした2013年まで怪我が多い選手でした。

 

怪我のたびに故障者リスト入りするも何度も復活しマウンドに戻ってきて活躍する姿はファンに勇気を与え、投球内容もファンを魅了するような活躍ぶりを見せています。

 

さらに野球殿堂入りや最多セーブ数はギネス世界記録に認定されていましたね。

 

リベラは引退の前年である2012年に引退を示唆しており、この年の5月に前十字靭帯損傷と半月板の一部を損傷で現役引退かと思われましたが次のように語ります。

 

「私は戻ってきます。このような形で現役から退くことはないだろう。」

 

怪我が多い選手でしたが、最後はいつものように復活した姿で終わりたかったのかもしれませんね。

 

引退した2013年には引退する選手とは思えない奇跡的な復活を果たし64試合で44セーブをあげており、故障やスランプにより成績を大きく落とした後に素晴らしい成績を残した選手に贈られるカムバック賞を受賞しました。

 

また引退後の2014年からは救援投手としての功績から名付けられたマリアノ・リベラAL最優秀救援投手賞が設立されました。

 

どれだけ怪我をしても持ち味のカットボールで守護神として君臨し続けた姿から、今後もメジャーリーグで語り継がれる選手だといえるでしょう。

 

通算700本塁打超えのアーチスト|アルバート・プホルス

プホルスは過去にメジャーリーグ3球団でプレーし、通算700本以上のホームランを記録した選手です。

 

そんなプホルスですが2011年以降下半身のいたるところを負傷して手術を何度も受けており、怪我に悩まされながらプレーをするシーズンが続きました。

 

2011年から2021年まではロサンゼルス・エンゼルスと10年契約を交わしていましたが、度重なる怪我の影響もあってか不振が続き2021年シーズンの途中でチームを去ることとなっています。

 

その後、ロサンゼルス・ドジャースでプレーし、翌年の2022年にはセントルイス・カージナルスでのプレーを最後に引退しました。

 

現役最後のシーズンでは、全メジャーリーガー最年長の42歳で奇跡の復活を果たし、この年にメジャーリーグ歴代4位の通算703本塁打を記録する活躍を見せています。

 

また、2022年には、一度大きく成績を落としたが復活し素晴らしい成績を残した選手に送られるカムバック賞を受賞しており、現役最後のシーズンでファンを驚かせる復活を見せました。

 

まさに最後は復活という言葉がふさわしい選手でしたね。

2022年ワールドシリーズ制覇に貢献|トレイ・マンシーニ

マンシーニは2023年にシカゴ・カブスでメジャーリーグ7年目を迎えた選手です。

 

2017年から2022年途中まではボルチモア・オリオールズでプレーし、8月からシーズン終了まではヒューストン・アストロズでプレーしていました。

 

そんなマンシーニは2020年にステージ3の大腸ガンを患い、手術を受けたことを公表しています。

 

そのため、2020年は闘病生活を送り試合に出場することはできませんでした。

 

しかし、2021年にはガンを克服し開幕戦2番ファーストで出場。

 

無事公式戦復帰を果たし「夢のようだ」と表現していました。

 

それだけ過酷な闘病生活だったことがうかがえます。

 

しかしその後も再発の恐怖や葛藤と戦い、不安に駆られて車の内装を殴って破壊してしまうこともあったようです。

 

7月には循環腫瘍DNA検査を受けて陰性と判明し、無事心身ともに回復し、21本塁打を放ちカムバック賞を受賞しています。

 

今後もガンの再発がないまま活躍することに期待したいですね。

シカゴ・ホワイトソックスの守護神|リアム・ヘンドリックス

ヘンドリックスは2021年からシカゴ・ホワイトソックスの守護神を務める選手です。

 

2020年と2021年には2年連続でマリアノ・リベラ賞を受賞しています。

 

ヘンドリックスは2023年の1月にステージ4の血液のガンである悪性リンパ腫であることがメディアによって報道されました。

 

抗がん剤治療は治療が完了しても体に強いダメージを与えますが、ヘンドリックスは最速ともいえる5月には公式戦復帰しており奇跡的な回復を見せています。

 

復帰戦でマウンドに上がる時には外野の大型ビジョンに

 

「Close out cancer(ガンを一掃せよ)」の文字が表示され、守護神の帰還に選手やファン、スタジアム中が喜びを分かち合った瞬間でした。

 

もしかすると2023年のカムバック賞に選ばれるかもしれませんね。

 

通算200勝左腕|ジョン・レスター

レスターは2006年にメジャーリーグデビューを果たし、16年間で通算200勝を記録した選手です。

 

しかしメジャーリーグデビューした2006年には悪性リンパ腫が見つかり、抗がん剤治療を受けています。

 

抗がん剤の副作用によって体重が激減し復帰には時間がかかると思われましたが、2007年の7月に公式戦復帰を果たしています。

 

この年にはボストン・レッドソックスで松坂大輔と共にワールドシリーズ制覇にも貢献していました。

 

2016年にはシーズンで最も活躍した左腕に贈られるウォーレン・スパーン賞やワールドシリーズで顕著な活躍をした選手に贈られるベーブ・ルース賞、2018年には巨人で活躍したマイルズ・マイコラスやマックス・シャーザーと並び最多勝利のタイトルを受賞しています。

 

そんなレスターは一塁への送球や牽制が難しいイップスでありワンバウンドやゴロ送球することで工夫を凝らしながらイップスと向き合いプレーしていました。

 

病気を克服しイップスとうまく付き合いながらメジャーリーグで活躍してきたレスターですが2022年の1月に現役引退を発表。

 

長年活躍してきた大リーガーの引退は名残惜しい気持ちでいっぱいのファンも多いでしょう。

 

今後もメジャーリーグファンが応援してきた選手が引退していくのは名残惜しいですが、新たなスター選手の登場が楽しみですね。

 

以上、メジャーリーグで怪我、病気、イップスから復活した選手を5人紹介しました。

 

今回は現役を引退している懐かしいスター選手も登場しましたね。

 

2023年は日本からイップスを疑われている元阪神タイガースの藤浪晋太郎がオークランドアスレチックスへと移籍しています。

 

藤浪やそのほかの選手も怪我や病気、イップスから復活して本来の実力で大活躍する姿が見られる日が待ち遠しいですね。

 

これから先も挫折を乗り越えた野球選手達がメジャーリーグで活躍することを楽しみに応援していきましょう。

トミージョン手術に救われ、復活を果たしたメジャーリーガー

世界中の野球選手が憧れる野球の聖地メジャーリーグ。

 

そんなメジャーリーグは数々の選手が挑戦しスーパースターとなった選手もいればメジャーリーグでプレーすることが叶わなかった選手、さらにはメジャーリーグでプレーしたものの怪我から復帰できずにキャリアを終えてしまった選手など無数の選手達が夢を見て夢を与えてきた舞台です。

 

そして長いメジャーリーグの歴史で怪我から奇跡の復活を遂げた名選手がいることを知っていますか?

 

実は皆さんもよく知る日本人メジャーリーガーも例外ではありません。

今回は奇跡の復活を遂げた選手を紹介していきます。

世界最高の二刀流|大谷翔平

今や野球ファンでなくても日本中が知っている大谷翔平。

 

彼は順風満帆なスター選手の道を歩んでいるように見えますが実は奇跡の復活を遂げた選手のひとりです。

 

大谷は2017年オフにポスティングシステムでメジャーリーグのロサンゼルスエンゼルスに移籍しています。

 

メジャーリーグでの最初のシーズンではアスレチックス戦の初登板を初勝利で飾り、本拠地デビュー戦の第1打席では第1号の3ランホームランを放つ鮮烈なデビューを見せました。

 

その後も活躍が続きましたが2018年6月8日、右肘内側の側副靭帯損傷が分かり、さらに9月5日のMRI検査の結果、右肘靭帯に新たな損傷が見つかります。

2019年には左膝の手術までしています。特に右肘は選手生命に関わる一大事でしたね。

 

同じ怪我で選手生命を終えた選手も数多くいるのではないでしょうか。

 

それだけに周りの関係者ですらショックを隠せなかったようです。

 

しかし大谷は意外に落ち込んでいない振る舞いを周りに見せて次のように語ります。

 

「その時はもう覚悟していましたね。全然落ち込まなかったです。」

 

高校時代から160kmを投げる右腕が故障するリスクは常に頭の中にあったようですね。

 

大谷は数々の選手が受けたトミージョン手術を受ける決断を下しており、ファンの中にはもう大谷の素晴らしいピッチングを見られないかもしれないと思いショックを受ける人もいたようです。

 

トミージョン手術を受けた選手は復帰まで1年以上かかり本来の投球ができるようになるまでにはさらに時間がかかるとされています。

また手術以前の投球ができないまま現役引退を余儀なくされる選手も珍しくありません。

 

投手として復活できずに野手の大谷になっていた可能性もありました。

 

エンゼルス移籍後の3シーズンで結果的には12試合の登板でしたが2021年は9勝2敗と投手ではタイトルこそ取れなかったものの完全復活が見える活躍を見せています。

 

2022年には奪三振率11.87を記録しアメリカンリーグ1位となり投手としても完全復活を遂げました。

 

投手大谷は奇跡の復活を果たし、これからも二刀流としての活躍が期待できますね。

 

そんな復活を遂げた日本の選手は大谷だけではありません。

 

次に大谷より先にトミージョン手術を受けから奇跡の復活を遂げた先駆者であるダルビッシュを見ていきましょう。

七色の変化球を操る侍右腕|ダルビッシュ

2012年に海を渡りメジャーリーガーになったダルビッシュ。

 

1年目から日本人投手最高の16勝をマークし、2年目には277の奪三振でタイトルも獲得しており誰もダルビッシュが怪我をするとは思いもしなかったでしょう。

 

そんなダルビッシュはメジャー3年目の2014年に右肘内側の側副靱帯を部分断裂が分かりトミージョン手術を選択しています。

 

「右がダメなら左で」

 

というようにアニメ「メジャー」を意識したような発言でも話題になりました。

 

結果的に翌年2015年は全休し、2016年に復帰するもののまだ本調子には戻らず本人が満足のいく結果には至っていないようでした。

 

2017年にはレンジャースからドジャースへ移籍しワールドシリーズで活躍。

 

完全復活かと思われましたが翌年2018年には右肘の痛みがあり本調子とはいかず周りからは完全復活できるか心配の声もありました。

 

それでもダルビッシュは無事に奇跡の復活を遂げており、所属するパドレスは2028年42歳を迎える年まで契約を延長しています。

 

2023年もさらにレベルアップし続けている選手であり今後も活躍も楽しみですね。

2022年MLB投手4冠にサイ・ヤング賞|ジャスティン・バーランダー

2023年2月に40歳を迎えたメジャー屈指の大投手、ジャスティン・バーランダー。

 

37歳を迎えた2020年シーズンにトミージョン手術を受け、スポーツ選手としては引退を決断する選手も多い年齢でもあるため周りからも復活を心配される様子でした。

 

しかし39歳の2022年にトミージョン手術から復帰し、メジャー投手4冠に自身3度目のサイ・ヤング賞を受賞。

 

さらにはワールドシリーズでも勝ち星を上げ、ワールドシリーズ制覇に貢献して完全復活を見せています。

 

復活前から優れた選手でしたが、メジャーの歴史でも数少ない復活後も大活躍し大投手となった選手のひとりでしょう。

 

打率1割台から奇跡の復活|マット・カーペンター

2010年のシルバースラッガー賞受賞やオールスターに3度選出されるなどの活躍を見せていたマット・カーペンター。

 

メジャーでも数少ない素手でバットを振る選手です。

 

30代後半を迎えた2020年には打率.186と低迷しており誰もが引退を想像した選手でした。

 

これまで紹介した選手は実績を上げたのち、トミージョン手術を受け復活した選手ばかりですが、マット・カーペンターは2007年のドラフト前にトミージョン手術を受けています。

 

野手であるため投手ほどの影響はなかったのかもしれません。

 

またアメリカ最大の移籍情報サイト「トレード・ルーマーズ」では次のように紹介されています。

 

「最近では最も驚くべき復活を遂げた人物のひとり」

 

その理由としては2022年5月にヤンキースと契約を結び、長打率においては2022年シーズンで100打席以上立った打者の中でトップの成績を残したことが影響し、2022年12月にはパドレスと最大27億円の2年契約。

 

マット・カーペンターは30代後半からの復活でさらなる活躍が期待されています。

 

メジャー屈指のジャニーマン|リッチ・ヒル

メジャーで合計12球団を渡り歩いたジャニーマンであるリッチ・ヒル。

 

日本のプロ野球でいえば全球団に在籍するほどチームを転々としていた選手です。

 

2011年にはトミージョン手術も受けています。

 

2019年には腕と膝の負傷で3度離脱しながらも活躍し、難病や逆境を克服して活躍した選手に贈られる、トニー・コニグリアロ賞を受賞しました。

 

リッチ・ヒルはまさに奇跡の復活を遂げた選手に相応しいのではないでしょうか。

 

全メジャーリーガー最年長であったアルバート・プホルスが引退したことで、2023年はリッチ・ヒルが全メジャーリーガー最年長選手となりました。

 

メジャー最年長のリッチ・ヒルの活躍にも期待しましょう。

 

以上メジャーリーグで奇跡の復活を遂げた選手を5人紹介しました。

 

今回日本の選手も登場しましたが、日本人投手でトミージョン手術を受けてメジャーリーグの球団在籍中に復活を果たせなかった選手は複数いるので気になる人は調べてみてもおもしろいかもしれませんね。

 

ちなみにマエケン体操でお馴染みのツインズ前田健太も2021年にトミージョン手術を受け、奇跡の復活へ向けて今シーズンから公式戦に登板しています。

 

世界には怪我以外にも様々な理由でファンから忘れられるほどに成績が低迷し、努力を重ね奇跡の復活を遂げた選手がおり、そんな選手の活躍する姿は見ているファンに勇気と感動を与えているように感じます。

 

これから先も多くの野球選手達が挑戦するメジャーリーグで生まれるドラマを楽しみに応援していきましょう。

メジャーの独特すぎる変則フォーム

今年開催されたWBCも大盛り上がりでNPBだけでなく、MLBへの関心が高まっていますよね。

素晴らしい記録を残す名ピッチャーが多くいる中で、MLBには「どうしてこのフォームで投げられるの?」と感じるような、日本では見ることのできない変則的なフォームで投球をするピッチャーが多くいるのです。

今回は、MLB投手の独特すぎる変則投球フォームを2つ紹介していきます。

https://youtu.be/ndhU1DncgvQ

幻の2ステップ投法  カーター・キャップス  

右腕投手であるカーター・キャップスの2ステップ投法とは、軸足をツーステップのように前方に移動させながら投げる投球フォームです。

「ホップステップ投法」「ジャンプ投法」と呼ばれることもあります。

この投法はセットポジションからスタートし、通常の投球動作のように左足を前に出すところから始まります。

このまま投げるかと思いきや、左足が地面につく直前に軸足である右足をプレートから外し、ホップ・ステップのような形で2回前へ進んでから投球するのです。

どうしてそんなフォームで投げるのかというと、打者が感じるボールの速度である体感速度が速くなるからです。

2ステップ投法は、普通の投球動作で投げるときより、投球板から実質40〜50cmも前に出て、打者に近づいて投げることができます。

そうすることにより、打者は球をより速く感じるのです。

2015年のキャップスの平均球速は約157.5km/hなのに対し、体感速度は約163km/h…

8km/hは打者にとって非常に大きな差ですよね。

つまり、彼は2ステップ投法により、打者の感じる球の速度を速めることに成功したのです。

キャップスは、2012年にニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューしました。

最高球速161km/hの速球とナックルカーブを武器として、高い奪三振率を誇っていました。

2015年には、マイアミ・マリーンズで30試合に登板し、1勝0敗、防御率1.16、31イニングで58個の三振を奪い、華々しいブレイクを果たし、16.8という奪三振率を残しました。

このような結果を残し、2015年にキャップスが話題になったとき、この変則的な投球フォームはルール違反にあたるのではないかという議論が起こりました。        

しかし、MLB機構は彼の2ステップ投球について、垂直にジャンプしているのではなく前に跳んでいることから不正投球ではないと判断しました。

投手がプレートに足をつけていなければならないのは牽制をするときのみで、打者に向かって投げる限りは問題はないという見解のようです。

このように、キャップスの2ステップ投法はMLBで認められたのです…

2015年までは…

NPB審判部元副部長五十嵐氏によると、米国ではルールブックに記載されていない事項に関しては、選手のクセを尊重する文化があるそうで、このような文化があるからこそ、MLBでは変則的で独特な投球フォームが生まれやすくなっていると考えられます。

キャップスは2016年シーズン前に右肘靱帯再建手術を受け、シーズン途中にサンディエゴ・パドレスへトレードしましたが、2017年にパドレスのクローザーの座を狙い、復帰しています。

2015年の議論を経ても、MLB機構により不正投球とされなかったためか、2017年のキャップスの投球フォームは、2歩目のステップが少し大きくなっているように見えます。

しかし、この2ステップ投法は2017年のルール改正で不正投球とされたため、今では見られない幻の変則フォームなのです。

新しいルールは、「投手は投球モーション中に本塁に対して、両足や軸足などによる2歩目のステップをすることができない」「1人以上走者が塁上にいたら、ボークとコールされ、走者がいなかったら不正投球とみなされる」というものです。

このようなルール改正があり、キャップスは投球フォームの変更を余儀なくされました。

キャップスを封じるためのルールとも言えるかもしれませんね。

 

独特すぎるサイドスロー投法 パット・ネシェック

右腕投手であるパット・ネシェックは、小さいテイクバックのサイドスローから速球を繰り出します。

もともとはオーバースローで投げていましたが、ショートを守っているときに負ったケガが原因で、この独特なフォームのサイドスローになりました。

そして、ケガが治った後も、この投球フォームが身に染みたため、投げ方を変えることはありませんでした。

ネシェックのサイドスローはソフトボールのような構えから、変則的に球を投げるため、打者はタイミングをとるのが難しいという特徴があります。

MLB公式サイトの動画コーナー「Cut4」の特集記事は、ネシェックのサイドスローについて、「楽譜を持つように両手を前に出した状態から投球をはじめ、腕を後ろに振り上げる。戸惑う打者からスライダーやシンカーで三振を奪う。」と解説しています。

この投球フォームのメリットは、右打者が球の出所を見極めるのが難しいことです。

そのため、ネシェックは右打者に対して抜群に相性がいいのです。

このようにメリットがある一方で、腕に負担がかかるというデメリットもあります。

パット・ネシェックはアメリカ合衆国ウィスコンシン州マディソン出身の右腕投手です。

2006年ツインズでメジャーデビューし、最高球速は153km/hで、先発でもクローザーでもなく中継ぎ一筋で、スライダーやツーシームが得意な選手でした。

そこから、アストロズ・フィリーズ・ロッキーズなどのチームを転々とし、プレーしました。

ネシェックの通算防御率は2.79で、MLBで200イニング以上投げたリリーフ投手の中で17位に位置します。

11シーズンでメジャーの打者はネシェックを攻略できていないと称されるほど、打者が対応するのが難しい投球フォームなのです。                       

また、ネシェックは2017年に開催された第4回WBCのアメリカ代表にも選ばれ、アメリカの決勝進出に貢献しました。

彼は準決勝の日本対アメリカ戦で左打者の筒香を封じるために登板し、右打者に強いネシェックが左打者を相手に登板しましたが、打者が初見でこの投球フォームから繰り出される球に対応することは非常に難しく、筒香を打ち取ることができました。 

2017年に37歳となったネシェックですが、年齢による衰えを感じさせないピッチングを披露し、リリーバーランキングでトップ10入りしました。

2017年シーズンでは、71試合、5勝3敗、防御率1.59を記録しました。

これほどの成績を残せるのですから、相当打ちづらいフォームなのでしょう…

 

いかがでしたでしょうか?

このようにMLBには、日本では見られないほど独特で変則的なフォームで投球をする選手がいます。

強打者がたくさんいるMLBで、いかに打者に打たせないか、打者を打ち取るかを考え、工夫をした結果、投球フォームが変則的になっていくのです。

そして、そのフォームがルール違反となるか否かも時代とともに変化していきます。

投手の投球フォームにも注目しながら野球観戦を楽しみたいですね。

永久に破られないメジャーリーグのありえない記録

100年以上の歴史を持つ MLB。

その歴史の中では数々の記録が達成されてきました。

2022年シーズンはジャッジ選手の本塁打記録で盛り上がったのは記憶に新しいところ。

一方、記録の中には、もう今後破られることのないような、ありえない記録もあります。

今回は、そういったありえない記録をいくつか紹介していきます。

シーズンで最も点を取った男・ハック・ウィルソン

ハック・ウィルソン

ルースとも比較された打点王 ハック・ウィルソン

打点をたくさん稼ぐためには、どれだけ自分の前にランナーが出ているのかが重要です。

1人もランナーがいなければ、ホームランでも打点1。

ランナーが2、3塁なら単打でも打点を2稼げるかもしれません。

 

つまり、自分の実力だけでなくチームメイトの実力も大事。

そんな実力と運を味方につけて、不滅の大記録を打ち立てたのがハック・ウィルソン。

 

ウィルソンは1920年代から1930年代初めにかけて活躍した大打者で、全盛期はベーブ・ルースとも比較される選手でした。

彼は、身長168cmながら体重は88kg。

ヒューストン・アストロズのホセ・アルトゥーべが同じ168cmで体重が75kgなので、ウィルソンの体の大きさは相当なものだったでしょう。

 

ウィルソンは、ニューヨーク・ジャイアンツでメジャーデビュー。

最初の3シーズンは平凡な成績で終わります。

 

しかし、1926年にカブスへのトレード移籍でウィルソンは覚醒します。

監督のジョー・マッカーシーの熱心な指導もあり、移籍した1926年にいきなり本塁打王を獲得。

その後1928年まで3年連続で本塁打王。

1929年は本塁打王こそ逃したものの、159打点で打点王。

そして1930年、いまだに破られることのない191打点という凄まじい打点数を叩き出し、2年連続して打点王に輝きます。

 

このシーズンをピークに、徐々に彼の成績は下がり始めます。

飲酒問題や喧嘩っ早い性格が災いし、首脳陣と衝突したり、コンディションをキープすることができませんでした。

 

その後はチームを転々として、1934年に34歳で引退します。

引退後は野球の仕事につくことができず、生活苦だったようです。

ウィルソンは1948年に48歳という若さで死去。

1979年に野球殿堂入り。

 

NPBでは小鶴誠(松竹)が、1950年に記録した161打点がNPB記録です。

MLBと同じく、この記録も不滅の記録としていまだに残っています。

不運の死を遂げた男・レイ・チャップマン

レイ・チャップマン

MLB史上唯一の悲劇に倒れたバント職人 レイ・チャップマン

MLBで犠打というのは、非効率的なプレーということで、近年はほとんど重視されなくなりました。

そんな犠打数のMLB記録はなんと1917年…第一次世界大戦が行われていた頃の記録です。

 

達成した選手はクリーブランド・インディアンスでプレーしたレイ・チャップマン。

俊足と守備力が持ち味の選手でした。

そんなチャップマンは1917年に、コツコツと犠打を決め続けていまだに破られることのないシーズンでは67の犠打を成功させました。

 

実はチャップマンは犠打数の記録のほかにも、野球界に大きな影響を与えるプレーヤーです。

それは打撃用ヘルメットの開発

 

なんと彼は1920年に、頭部へ受けた死球が原因で亡くなったのです。

当時は今のように打者がヘルメットをかぶっていませんでした。

これはMLB史上唯一の、他選手のプレーが原因となった死亡事故となっています。

この事故がMLBでの打撃用ヘルメット導入のきっかけの一つと言われています。

2006年クリーブランド・インディアンス殿堂入り。

 

犠打数は近年減り続けています。

2022年シーズンの個人最多記録はなんと12でした。

これからもこの傾向は変わらなさそうなので、チャップマンの記録は今後も破られることはないでしょう。

 

NPBでは宮本慎也(ヤクルト)が2001年に記録した67犠打がNPB記録です。

やはりNPBでも犠打数は減少傾向にあり、今後、このNPB記録も不滅となっていくのかもしれません。

その名が賞になった男・サイ・ヤング

サイ・ヤング

サイ・ヤング賞に名を残す名投手サイ・ヤング。

勝利数や敗戦数など様々な部門でMLB1位の記録を持っている彼ですが、今後、更新不可能な大記録といえば、この完投数。

サイ・ヤング成績 ©️プロ野球記録

ヤングが活躍した20世紀初頭は選手生命の短い選手が多かったですが、ヤングは22年の現役生活の中で故障とは無縁でした。

 

「サイ」のニックネームは「サイクロン(暴風)」から来ています。

しかし、そのイメージとは裏腹に、ヤングはコントロールがとてもいいピッチャーでした。

コントロールの良さを生かして、バッターを少ない球数で抑えることができたのです。

これが、たくさんの試合に登板していながら、故障とは無縁だった秘訣でしょう。

実際、通算7356イニングを投げていながら、奪三振数は2803に過ぎません。

どちらかといえば、打たせてとるピッチングスタイルといえます。

また、スプリングトレーニングでの投げ込みの制限など、肩や肘の負担を減らそうと工夫していたことがうかがえます。

 

数々の伝説的な記録を打ち立てたヤングは、1937年に野球殿堂入り。

1955年に88歳で生涯を閉じます。

 

現役当時から人気のあったヤング。

死の翌年にそのシーズンの最優秀投手を表彰するサイ・ヤング賞が設立され、彼の名前が賞の中に残ることになりました。

投手の分業化が進んだ現代では完投の数は減っています。

 MLBの2022年シーズンでは、リーグ全体で完投数は36。

ヤングは、1人でこれくらいの完投数を毎シーズン記録していたので、この完投数の記録の凄さが分かります。

 

NPBでは金田正一(国鉄など)の通算365完投が最多完投数です。

この数字も凄まじいですが、このほぼ2倍の完投数を達成したサイ・ヤングはまさに超人的なピッチャーと言えるでしょう。

世界一指揮を取った男・コニー・マック

コニー・マック

選手だけでなく、監督でも不滅の記録が生まれています。

それは、コニー・マックの連続指揮年数です。

 

キャッチャーとして現役時代に活躍したマックは、1901年フィラデルフィア・アスレティックス(現オークランド・アスレティックス)の球団創立に関わります。

そして、そのまま共同経営者としての立場で監督も務めました。

 

当時としても珍しい、スーツ姿で指揮をしていたマックは、なんとそのまま50年間連続してアスレティックスの指揮をすることになりました。

その50年間でワールドシリーズを5度制し、監督としての通算勝利数、通算敗戦数の両方で MLB1位の記録を打ち立てています。

 

彼は監督として、選手に強い規律を求めました。

野球選手としてだけでなく、人間としても立派な振る舞いを求めたのです。

彼自身も穏やかな紳士で、アスレチックスの指揮をとった50年間で退場したことはありませんでした。

攻撃面ではパワーのある選手を好み、細かい野球よりも、長打を生かした打線を組みました。

一方で、守備面では選手の守備配置を巧みに変えることを初めて行いました。

 

また、1934年にはMLB選抜の監督として、ルー・ゲーリックやベーブ・ルースとともに日米野球のために来日をしています。

徐々に戦争の影が伸びてきている時期でしたが、日本人と日本野球を非常に高く評価していたことでも知られています。

 

1956年93歳で死去。

最後までグラウンドで野球界に貢献し続けた人生でした。

1937年野球殿堂入り。

 

現代の MLBでは監督ではなくフロントが大きな権限を持つことが珍しくありません。

フロントの意に沿わなければ、すぐに監督交代ということも起こっています。

また、マックの長期政権の要因は、彼自身が共同経営者(途中からはオーナー)だったことにもあります。

しかし、現在ではオーナーが監督やコーチとなることが禁止されているため、この連続指揮年数の記録は不滅の記録と言っていいでしょう。

 

NPBでは南海ホークスを率いた鶴岡一人が23年連続で指揮をとっており、NPB記録となっています。

また監督としての勝利数記録1773 勝も鶴岡一人の記録です。

 

 

いかがでしたでしょうか?

大記録を達成するためには、本人の実力とともに、チームメイトや指導者に恵まれている必要があります。あるいは、ルールや道具の手助けも必要です。

偉大な選手・監督というのはそういった実力と運を兼ね備えている人なのでしょう。

今シーズンはそんな選手が登場するのか?

ワクワクしながら観戦したいですね。

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